「愛」という言葉はシャラクサイしテレクサイしウサンクサイ。
ずっとそう思ってたし、やっぱりまだ思ってる。
だからこうした場で
「愛が大事です」
なんて事を書ける側の人間ではないのが今までの私なんだけど。
今日はこの動画見てたの。
これ「聞き流し・作業用」とかなってるけど全然聞き流せる感じじゃなく早口だしよく聞かないと難しくて意味全然わからないんだけどさ(笑)
でも、この「自愛云々」を聞きながらメイクしてて「自愛」ってモノについてなんとなく考えていてさ。
で、私も他聞に漏れず「自己否定」というか「自分大好き!」の真逆を生きてるなって自覚はあるというか、自分の事嫌いではないけど好きでもないというか
「まあどうせ私なんて」ともでいうか・・・
そんなモヤモヤした感じだったんだけどこの動画の中で出てきた
「自分を愛する」とかじゃなくて
「自分を一番愛しているのは自分」
「自分をもっと愛する為に願望がある」とか
「自分の飼い猫を誰か雑に扱ったら腹が立つのと同じで、自分を猫だと思えば自分は無条件で愛されていい存在だと思える」とか・・
そういう話に何かが引っかかって。
あー
私、今まで「自分を愛しましょう」とか言われても全然ピンとこなかったけど、「自分は誰よりも自分に愛されている」という風に考えてみたら・・・
なんか、私が私に対して取っている行動や我慢のさせ方って、夫が私を扱う時と同じような感じというか、夫の私への接し方こそがまさに、私が私に接する時と同じような感じというか・・
嫌な事や言いたい事があっても「まあ言っても仕方がないか」とそのままにしておくとことか、「面倒な事になるくらいならそれ以上触れないでおこう」とかさ。
夫に対していつも「何で喧嘩してでも気持ちぶつけ合ってわかり合おうとしないの??」
とか思ってたんだけどさ。
「あー私が私自身をどう愛しているかを夫を通して体感していたんだな」と感じたんですよね。
ずっと「愛されたい」と思っていたけど、その「愛されたい」ってどういう状態なんだっけ?
結局何がどうなったら私は「愛されている」と感じられたんだろうか。
愛・・愛されていたら・・・
外食したらいつも割り勘ばかりじゃなくたまにご馳走してくれるもんじゃないのかな?奢って欲しい訳じゃないけど「たまにはご馳走したい」って思ってもらえないの何でかな。私は臨時収入とかあれば夫にご馳走したりするのにな・・
どうして夫から私に触ってくる事が一切ないの?私は好きな相手に抱きしめられたいって思うのにな…
愛されていたら旅先で私が喜びそうなお土産買ったりしないの?私は旅先でいつも「これ夫君好きだから喜ぶかなー」とか考えながら選ぶのが楽しいのに。
どうして私が夫に対してそうするように、夫は私にしてくれないんだろう?
ずっとそう思っていたんだけど。
でも、今回「自愛」という概念について考えてみた時に、夫はさておき、私自身も私に対して私が思うような私を愛しているという接し方をしていなかったんじゃないかなって。
私、誰かにご馳走してもらうの苦手なんですよね。借りを作るような気がするから誰かが「ご馳走するよ」と言ってくれても素直にワーイって受け取れなかったりする。
奢られるよりご馳走する方が楽だなって思っていたりもする。
旅先で「夫」や「友達」の為に何かを選ぶ事は楽しんでいるけど自分の為のモノは「もったいないな」で買わなかったりする。
娘の体調が悪ければ仕事が忙しくてもなんとか時間作って病院連れていかなきゃ!って調整するけど、自分が体調悪いとかなら「まあ放おっておけば治るでしょ」とそのままにしちゃうし。
あれ?最愛の自分が自分を放置するのおかしくない?
うーん。上手く言えないんだけど、「愛されたい」と思いながらも私の中で「愛されている状態」というのがわかっていなかったんじゃないかなと。
だって私が私をどう愛すればいいのかを私がわからず私ですら投げ出していたんだもん。
自分を愛すると言うとナルシストとか、自己肯定感とかそっちのイメージ強かったんだけど、なんかそれとも違う気がするなと。
「自分を愛する」のではなく、《自分を一番愛しているのは自分》
そこを肯定してみると、じゃあその「私を一番愛している私」が私の事を上手に愛せていないなら、他人がそれ以上に私に愛情を示すのなんてそりゃ無理難題だわなと。
で、さらにさ。
これは全然関係ないかもなんだけど・・
私、小学校くらいの時からずっと「慢性蕁麻疹」が出るんですね。
食べ物とか環境とかあまり関係なく、疲れた時とかはもちろん、何も理由が見当たらないような時でも体にジンマシンが出て痒くなる時が結構あるんだけど。
なんとなくさ。なんとなくなんだけど・・
自分への「愛」があまりにも足りなくて自分を粗末にしているアレルギー反応で蕁麻疹という形になって出ていたんじゃないかなって気がしてきて。(もちろん気の所為かもだけどさ)
なので、そういう意味でも「自分を一番愛しているのは自分自身」という事というか、そういう概念に今日は気づけたのでここからは自分を溺愛できるようにしていけたらいいなあと・・・
そんな風に思った一日でした。
世界中の誰よりも私を一番溺愛している私になりたいな。
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